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蒲生川(がもうがわ〔)は、鳥取県岩美郡岩美町を流れる二級河川〔。源流から河口までの延長22.6km〔、うち幹川流路延長(県の管理区間)は河口から17.6kmまでの区間となっている〔。流域面積は90.9km2で、岩美町全域の7割以上を占めている〔。 源流には河合谷高原、中流には岩井温泉、河口には網代魚港がある。また、支流の小田川の上流には荒金鉱山などの鉱山が散在する〔。かつては鉱毒汚染で魚が死滅したが、いまでは水質はよく、1998(平成10)年から2007(平成19)年の生物化学的酸素要求量(BOD)75%値は0.5から1.8mg/lで推移し、環境基準AAないしA類型をクリアしている〔〔。 == 流路と支流 == ;源流 蒲生川の水源は扇ノ山の標高900m付近に広がる河合谷高原の天神池である。扇ノ山は南北に長く峰を伸ばしていて、その稜線が鳥取県と兵庫県の県境になっている。北へ向かう稜線は牛ヶ峰山へと連なっていて、この間の東斜面一帯が河合谷高原である。河合谷高原は袋川の源流にもなっているほか、峰の反対側には兵庫県を流れる岸田川の源流がある〔〔〔〔。 池から発した流れは兵庫県との県境に沿ってしばらく北流する〔。このあたりは火山に由来する流紋岩や凝灰岩が急峻な地形をなしており、天神滝を含めて標高差300mあまりを一気に下る急流となる〔〔。 ;上流 3kmほどの間に標高差550mほどを一気に下ると、標高330m付近にある鳥越地区で人里に出る。川はこのあたりでやや緩やかになり、北西へ向きを変える。ここのあたりの上流域ではワサビ栽培が行われている〔。 まもなく横尾、蕪島、洗井地区に出て、川は再び北へ向きを変える。このあたり、標高230m付近の蒲生川両岸の斜面は大山噴火の際に生じた地すべりによって生じた傾斜面になっていて、江戸時代中期に拓かれた500枚の棚田が広がっている。全体で25haにおよぶ棚田は1999年に農林水産省が定めた日本の棚田百選に選ばれている。〔〔 このあたりは平家の落人伝承がある奥地だが、明治期に蒲生峠を越える国道9号線(旧道)が開通するとバスが通るようになった。しかし蒲生峠の険路は冬季の通行が困難で、1978(昭和53)年に蒲生トンネルが開通してそちらが本道になった。いまは旧国道である県道119号が蒲生峠へ向かうほか、十王峠を経て国府町方面へ向かう県道31号との分岐地になっている〔。 旧山陰道の古い時期の正確なルートについては諸説あって定まっておらず、蒲生峠を越えて横尾に入ったあと、十王峠を越えて雨滝方面へ向かっていたとする説もある。豊臣秀吉による鳥取攻略にあたっては、豊臣軍は蒲生峠から十王峠を経て侵攻したとする説があり、秀吉にまつわる伝承が近辺に残されている〔。 戦国時代末期に大いに栄えた銀山地区を流れる銀山川を合わせると、蒲生川は塩谷(しぼたん〔)地区で再び北西に転じ、南から法正寺川が合流するあたり一帯が蒲生地区となる。このあたりから谷が開け、谷底平野となる。付近はかつての旧山陰道・蒲生峠(因幡国と但馬国の国境)の真下にあたり、蒲生には江戸時代までは番所が置かれていた〔〔。いまの国道9号線は蒲生トンネルで峠を抜けてきて、ここからは蒲生川と並走している〔〔。 ;中流 右岸から白地川、長谷(ながたに)川を合わせると、蒲生川は西へ向きを変え、中流域に入る。大正末期から昭和初期にかけては、白地の対岸付近から中流の恩志まで、蒲生川の左岸を岩井軌道が走っていて、温泉客や銅鉱石を輸送していた。この軌道は相山でインクラインとの積み替え場があり、荒金鉱山まで続いていた。この相山地区には平経盛のものとされる墓がある〔〔〔。 真名川や瀬戸川などが集まるあたりには、岩井温泉の温泉町が形成されている。ここにはかつて岩井宿があり、岩井村の中心地だった。蒲生川の右岸には7世紀後半から平安時代のものとされる寺院の遺構(岩井廃寺)があり、国指定の史跡になっている〔〔〔〔。 温泉町付近に架かる「湯かむり大橋」はかつての旧山陰道・国道9号線で、いまは橋の周辺に親水地が設けられるなど、湯治客の散策路として整備されている〔〔〔。 温泉地を抜けると、川の両岸には標高100-150m程度の小起伏山地の山裾が迫り、蒲生川はその間を蛇行する。特に恩志付近では過去にたびたび大雨による増水で破堤し、周囲に浸水被害をもたらしている〔〔。 ;下流 新井地区で大きく蛇行しながら抜けると、下流域の沖積平野に出る〔〔。蒲生川はかつて新井から北へ向かっており、現在の岩美駅周辺をぬけて田後港のある浦富海岸へ流れていた。しかし河川争奪によって、今は小田川との合流して西へ向かい、網代漁港で日本海へ注いでいる〔〔。 網代漁港のある河口付近には三角州を塞ぐ形で大谷砂丘が発達していて、周囲には砂礫台地がある〔〔。現在の蒲生川と大岩駅のあいだの平野部はかつての潟湖がしだいに埋め立てられて後背湿地となり、江戸時代までは「大谷沢」と称する沼沢地だった〔〔〔。これが江戸期を通じて埋め立てられ、現在は水郷地帯となっている〔〔。 岩本地区から下流は網代漁港となっており、河岸には造船工場や水産加工場が並んでいる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒲生川 (鳥取県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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